2013年02月07日
讃岐街道☆松風橋
めったにない二日間の連休。
あんまり芳しくわないお天気ですが、近場でも「精力的」にお一人様ドライブに燃えましゃう。
昨日わ阿波の土成(東)でしたから、
本日わ「西」に舵をとりますョ。
私、廃墟・廃線・文化遺産と、(少し近代的な匂いの残る『古い』もの)ヲタです。
ちうワケで本日愛媛の土居。
奇しくも昨日の土成と「土」が一緒。
(イミはない。ふ。)
◇◇◇
「松風橋」。
四国中央市に残る煉瓦造アーチ式石橋です。
「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」。
以前UPした、旧予讃線「岩屋架道橋」に形は似てをりますが、
岩屋わ花崗岩積み。
松風橋わ煉瓦積み。(長手.イギリス積み)
四国で唯一の「道路煉瓦橋」らすぃ。
(ゴクリ)

一見、フツ~の道路なンですが
車を降りて覗き込むと分かります煉瓦。

場所わJR土居駅の近くで、住宅の密集した昔ながらの狭い道途中に出現いたします。

11号土居に入り、北にローソンがある三叉路で海側に。
すぐに有る予讃線の線路を越えて、そのまま真っ直ぐ進めば土居高校。
しかし、最初に出会う交差点を東に。
JAうま仕出しセンターが出てきます辺りに
「コヤツわ有る。」
ひっそりとねぃ。
折しも小学生下校の時間に当たっていたらしく、
一人のやんちゃさうな学童が走ってきてガードレェルにつかまり、下を覗き込んでをります光景。
「ここか?」
まだ探しあぐねてをった私わ、チビの指標に従いました。
そして…嗚呼。ここだ。

ありがとう。
きっとこのチビわ、いつも帰り道に覗き込んでをるンだな。
煉瓦の橋の「向こう」を見つめているのかもしれないな。
さて。
「降りたい。」
降りてくぐってみたい。
が…見渡す限り、そンな階段もない。
あった!と思って勇んでも途中まで。

この川わ、赤星川の支流らすぃが
この道わ、「讃岐街道」と言う。
◇◇◇
昔々。
伊予の松山から、讃岐に至る「街道」が御座いました。
「起点わ松山藩道路元標が建てられている。
札之辻 から小松(現西条市)間の中山川沿いの峠道は 「中山越え」あるいは「桜三里」とも呼ばれ る。」
嗚呼、桜三里もまた讃岐街道。だったンだな。
江戸時代に金毘羅参りが盛んになると、伊 予国からも多くの参拝者がこの街道を利用し て金刀比羅宮を目指したため、金毘羅街道の一 つと言える。街道沿いには金刀比羅宮までの道標などが残っている。
その一つ。でしゃうか。
三島までの道標。

三島わ、私の愛する「うどん自販機」が大王製紙の裏に有るトコ。
車なら「すぐ」なンだけど・・・
昔の人わ歩いたンだな。
後どれぐらい…?なンて考えながら。
讃岐わ讃岐で、金比羅さん横の377(だっけ?)に
「伊予見峠」が有る。
あの峠から、伊予を臨んでいたンだらうか。
金比羅さんわ四方八方から人が訪れるから
当然、隣合わせの阿波からも「街道」が有る。
◇◇◇
「徳島藩政時代に整備された阿波五街道 の一つ。徳島城鷲の門から佐古、蔵本 などを経て、徳命の渡し(藍住町) で吉野川を渡る。」
なる
今のJR徳島線だ。
192号沿いに有る駅舎たちから思い出すもの♪
「大寺(板野町)か ら大坂峠を越えて香川県側に入り、馬宿(東かがわ市引田)に至る。
大寺では、撫養と池田を結ぶ撫養街道(川北街道)と交 差していた。
藩政期は出入国を取り締まる関 所が大坂峠にあった。のちに国道11号が海沿いのルートをとると、
大坂峠経由の交通量は激減して廃れてしまった。
現在の徳島県道・香川県 道1号徳島引田線と一部重なる。」
あ、何回か通った引田に通じるあの山道かぁ。
うんうん。
なるほどなぁ。
徳島からわ、金比羅さんルートが他にも有る。
「借りこ牛」。
林業しかない山地の住民わ、田地を耕す牛を讃岐側に貸して、報酬として牛が背負った米を受け取る。
こりわ金比羅歌舞伎辺りから、猪ノ鼻ルート。
◇◇◇
本日わ、一つの「煉瓦橋」から。
またいろいろな世界を楽しみましたですョ!♪
あんまり芳しくわないお天気ですが、近場でも「精力的」にお一人様ドライブに燃えましゃう。
昨日わ阿波の土成(東)でしたから、
本日わ「西」に舵をとりますョ。
私、廃墟・廃線・文化遺産と、(少し近代的な匂いの残る『古い』もの)ヲタです。
ちうワケで本日愛媛の土居。
奇しくも昨日の土成と「土」が一緒。
(イミはない。ふ。)
◇◇◇
「松風橋」。
四国中央市に残る煉瓦造アーチ式石橋です。
「石橋・眼鏡橋・太鼓橋・石造アーチ橋」。
以前UPした、旧予讃線「岩屋架道橋」に形は似てをりますが、
岩屋わ花崗岩積み。
松風橋わ煉瓦積み。(長手.イギリス積み)
四国で唯一の「道路煉瓦橋」らすぃ。
(ゴクリ)

一見、フツ~の道路なンですが
車を降りて覗き込むと分かります煉瓦。

場所わJR土居駅の近くで、住宅の密集した昔ながらの狭い道途中に出現いたします。

11号土居に入り、北にローソンがある三叉路で海側に。
すぐに有る予讃線の線路を越えて、そのまま真っ直ぐ進めば土居高校。
しかし、最初に出会う交差点を東に。
JAうま仕出しセンターが出てきます辺りに
「コヤツわ有る。」
ひっそりとねぃ。
折しも小学生下校の時間に当たっていたらしく、
一人のやんちゃさうな学童が走ってきてガードレェルにつかまり、下を覗き込んでをります光景。
「ここか?」
まだ探しあぐねてをった私わ、チビの指標に従いました。
そして…嗚呼。ここだ。

ありがとう。
きっとこのチビわ、いつも帰り道に覗き込んでをるンだな。
煉瓦の橋の「向こう」を見つめているのかもしれないな。
さて。
「降りたい。」
降りてくぐってみたい。
が…見渡す限り、そンな階段もない。
あった!と思って勇んでも途中まで。

この川わ、赤星川の支流らすぃが
この道わ、「讃岐街道」と言う。
◇◇◇
昔々。
伊予の松山から、讃岐に至る「街道」が御座いました。
「起点わ松山藩道路元標が建てられている。
札之辻 から小松(現西条市)間の中山川沿いの峠道は 「中山越え」あるいは「桜三里」とも呼ばれ る。」
嗚呼、桜三里もまた讃岐街道。だったンだな。
江戸時代に金毘羅参りが盛んになると、伊 予国からも多くの参拝者がこの街道を利用し て金刀比羅宮を目指したため、金毘羅街道の一 つと言える。街道沿いには金刀比羅宮までの道標などが残っている。
その一つ。でしゃうか。
三島までの道標。

三島わ、私の愛する「うどん自販機」が大王製紙の裏に有るトコ。
車なら「すぐ」なンだけど・・・
昔の人わ歩いたンだな。
後どれぐらい…?なンて考えながら。
讃岐わ讃岐で、金比羅さん横の377(だっけ?)に
「伊予見峠」が有る。
あの峠から、伊予を臨んでいたンだらうか。
金比羅さんわ四方八方から人が訪れるから
当然、隣合わせの阿波からも「街道」が有る。
◇◇◇
「徳島藩政時代に整備された阿波五街道 の一つ。徳島城鷲の門から佐古、蔵本 などを経て、徳命の渡し(藍住町) で吉野川を渡る。」
なる
今のJR徳島線だ。
192号沿いに有る駅舎たちから思い出すもの♪
「大寺(板野町)か ら大坂峠を越えて香川県側に入り、馬宿(東かがわ市引田)に至る。
大寺では、撫養と池田を結ぶ撫養街道(川北街道)と交 差していた。
藩政期は出入国を取り締まる関 所が大坂峠にあった。のちに国道11号が海沿いのルートをとると、
大坂峠経由の交通量は激減して廃れてしまった。
現在の徳島県道・香川県 道1号徳島引田線と一部重なる。」
あ、何回か通った引田に通じるあの山道かぁ。
うんうん。
なるほどなぁ。
徳島からわ、金比羅さんルートが他にも有る。
「借りこ牛」。
林業しかない山地の住民わ、田地を耕す牛を讃岐側に貸して、報酬として牛が背負った米を受け取る。
こりわ金比羅歌舞伎辺りから、猪ノ鼻ルート。
◇◇◇
本日わ、一つの「煉瓦橋」から。
またいろいろな世界を楽しみましたですョ!♪
この記事へのコメント
土居にこんなレトロな橋があったとわ!!
しかも今も使われている丈夫な橋なんですね?
あの辺は住宅地が密集していて車1台通るのもやっとでしょ?
最近のナビは、国道、県道のほかに讃岐街道、伊予街道ンぽ表示もされています。ドライブしながらも歴史の勉強にもなります。
しかも今も使われている丈夫な橋なんですね?
あの辺は住宅地が密集していて車1台通るのもやっとでしょ?
最近のナビは、国道、県道のほかに讃岐街道、伊予街道ンぽ表示もされています。ドライブしながらも歴史の勉強にもなります。
Posted by rieko at 2013年02月07日 21:27
riekoさま☆
そうなンよねぃ!
あの、天井の梁が素敵な土居駅の近くに・・・
こぉんなレトロが隠れてをりますぞ!
(*⌒▽⌒*)
てか、最近のナビって・・・
昔の呼び名も示してくれるんかぁ。
なんか、情緒があるねぃっ!
道路には、掘り出しもんがたくさ~ん♪
(*^▽^*)
そうなンよねぃ!
あの、天井の梁が素敵な土居駅の近くに・・・
こぉんなレトロが隠れてをりますぞ!
(*⌒▽⌒*)
てか、最近のナビって・・・
昔の呼び名も示してくれるんかぁ。
なんか、情緒があるねぃっ!
道路には、掘り出しもんがたくさ~ん♪
(*^▽^*)
Posted by 花椒
at 2013年02月08日 16:29
