2017年04月15日
唐子浜@煉瓦のキオク
松山市を出たわしわ、次に「いまはる」に向かぅたンょ。
此の二日間の連休で、ケッコ~渋滞ナ下道を約阡キロ走ったのでヂツワ疲りちょったンぢゃが( ´;゚;∀;゚;)
「青空」のゆ~わく♪
かつて何回か通ぅた「唐子浜」の煉瓦が呼ぶンね!
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
◇◇◇
何年振りぢゃらぅ?
未だにわしのブログの検索キーワードにて登場し続ける「唐子浜パーク」。
2001年に閉鎖さりた遊園地で、リアルな其りにわ行ったコトが無ぃのに。
理由の一つとすぃてわ、或るビッグな「廃墟サイト」に
わしの撮った画像が転用さりたコトかな。
其りに近ぃ画像から行くょ!

…なんか、ホース有るけンど。
( 〃▽〃)
何回か通ぅも、全て「いまはる」からの経路。
目印わ「38号」&壁がちょとイッちょる修理工場。のみ!
iPadで示さりる「JR桜井駅」で、やぅやく嗚呼!と分かったわしわ
過去の「JRフォトコン」(JR四国50周年記念)時代に、マスオと入選数を競ったキオクの甦る「駅舎」マニア。
久し振りゃナあんた唐子浜。
パチンコ屋さんとローソンの駐車場。やったナ…♪

力がみなぎるに任せて!
駆けるわしの目前で
ん~松の木の下でラヂオ体操する嫗♪っ

らじゃ。横目に白砂え。

無精せンとファスナー!

砂浜って。
「駆けてしまぅ」のわ何故?

も。ハイになるのわ何故?

其ンな日のわし。てすぃた。

黄緑色の硝子。

息せききった後の煉瓦。

はい。此処わ「灯台守」の旧宿舎である煉瓦デス!
(わしにとってわ「煉瓦」が主人公なので)

イギリス積みでしゃうか?
いやはや。

此処、フェチ。

木漏れ陽のかかる辺り、彼の戦争遺跡「小島」も思い出す雰囲気。
はい。
此の煉瓦わ、かつての「灯台守」が休憩さりて居った宿舎が移築されたモノ。

◇◇◇
「海岸沿いに建っているレンガ造りの建物は、赤灯台と同じ明治35年4月に完成した大浜灯台吏員退息所を移築したもの。
「りいんたいそくしょ」とは、聞きなれないが、職員官舎をいうようだ。大浜灯台は昭和38年に解体撤去され、退息所も今治市湊町から、この唐子浜へ昭和56年7月移築された。今は今治地方観光協会が「唐子浜海の子の家」として、管理している。」
かなぁりオシャレな此処わ、確かライブとかでも活用さりちょりますネ♪
で。「赤灯台」デス。

わしのメインわ「煉瓦」なので、灯台画像わ一つ。なンですが。
「沖合230メートルに立つ赤灯台。これは、今から112年前の明治35年(1902)4月、来島海峡のコノ瀬で初点灯された「コノ瀬灯標」を移築したもの。わが国で5番目の洋式灯台だった。
同海峡の小島の東方に、コノ瀬暗礁があり、そこに立っていたわけだが、大型船通行時代になると、この暗礁が邪魔になり、暗礁もろとも爆破される予定だった。だが、そこで、住民の保存運動がおこり、現在地への移築が実現し、今に残っている。昭和53年(1978)3月に廃止、同年10月に保存移築が終わった。海にあったものを再び別の海に移築するのは、世界的にもまれなケースという。
高さが14メートル、2トンの御影石274個を円形に積み上げて築いている。
今は点灯していない。海図には灯標と間違わないよう、「灯台状構造物」と記載されている。」
エエ感じ。
遠く見ぇるンやけンど、サイトによってわ海藻狩りなどをしちょらりる人々の画像も有ったっけ。
わしわ「灯台状構想物」の名称に萌えます。
ふぅ。
ちぅワケで
いまはるから帰途に着ぃたわし、渋滞を避けて「13号」。
海がキレイな多喜浜♪
が。疲れてETC放り込ンぢょったのに高速から離れとるがネ。
( ;∀;)
で。一番混む三島からヘロヘロで入りマスぃた。
やった~!近距離。
確か1180圓也♪
此の二日間の連休で、ケッコ~渋滞ナ下道を約阡キロ走ったのでヂツワ疲りちょったンぢゃが( ´;゚;∀;゚;)
「青空」のゆ~わく♪
かつて何回か通ぅた「唐子浜」の煉瓦が呼ぶンね!
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
◇◇◇
何年振りぢゃらぅ?
未だにわしのブログの検索キーワードにて登場し続ける「唐子浜パーク」。
2001年に閉鎖さりた遊園地で、リアルな其りにわ行ったコトが無ぃのに。
理由の一つとすぃてわ、或るビッグな「廃墟サイト」に
わしの撮った画像が転用さりたコトかな。
其りに近ぃ画像から行くょ!

…なんか、ホース有るけンど。
( 〃▽〃)
何回か通ぅも、全て「いまはる」からの経路。
目印わ「38号」&壁がちょとイッちょる修理工場。のみ!
iPadで示さりる「JR桜井駅」で、やぅやく嗚呼!と分かったわしわ
過去の「JRフォトコン」(JR四国50周年記念)時代に、マスオと入選数を競ったキオクの甦る「駅舎」マニア。
久し振りゃナあんた唐子浜。
パチンコ屋さんとローソンの駐車場。やったナ…♪

力がみなぎるに任せて!
駆けるわしの目前で
ん~松の木の下でラヂオ体操する嫗♪っ

らじゃ。横目に白砂え。

無精せンとファスナー!

砂浜って。
「駆けてしまぅ」のわ何故?

も。ハイになるのわ何故?

其ンな日のわし。てすぃた。

黄緑色の硝子。

息せききった後の煉瓦。

はい。此処わ「灯台守」の旧宿舎である煉瓦デス!
(わしにとってわ「煉瓦」が主人公なので)

イギリス積みでしゃうか?
いやはや。

此処、フェチ。

木漏れ陽のかかる辺り、彼の戦争遺跡「小島」も思い出す雰囲気。
はい。
此の煉瓦わ、かつての「灯台守」が休憩さりて居った宿舎が移築されたモノ。

◇◇◇
「海岸沿いに建っているレンガ造りの建物は、赤灯台と同じ明治35年4月に完成した大浜灯台吏員退息所を移築したもの。
「りいんたいそくしょ」とは、聞きなれないが、職員官舎をいうようだ。大浜灯台は昭和38年に解体撤去され、退息所も今治市湊町から、この唐子浜へ昭和56年7月移築された。今は今治地方観光協会が「唐子浜海の子の家」として、管理している。」
かなぁりオシャレな此処わ、確かライブとかでも活用さりちょりますネ♪
で。「赤灯台」デス。

わしのメインわ「煉瓦」なので、灯台画像わ一つ。なンですが。
「沖合230メートルに立つ赤灯台。これは、今から112年前の明治35年(1902)4月、来島海峡のコノ瀬で初点灯された「コノ瀬灯標」を移築したもの。わが国で5番目の洋式灯台だった。
同海峡の小島の東方に、コノ瀬暗礁があり、そこに立っていたわけだが、大型船通行時代になると、この暗礁が邪魔になり、暗礁もろとも爆破される予定だった。だが、そこで、住民の保存運動がおこり、現在地への移築が実現し、今に残っている。昭和53年(1978)3月に廃止、同年10月に保存移築が終わった。海にあったものを再び別の海に移築するのは、世界的にもまれなケースという。
高さが14メートル、2トンの御影石274個を円形に積み上げて築いている。
今は点灯していない。海図には灯標と間違わないよう、「灯台状構造物」と記載されている。」
エエ感じ。
遠く見ぇるンやけンど、サイトによってわ海藻狩りなどをしちょらりる人々の画像も有ったっけ。
わしわ「灯台状構想物」の名称に萌えます。
ふぅ。
ちぅワケで
いまはるから帰途に着ぃたわし、渋滞を避けて「13号」。
海がキレイな多喜浜♪
が。疲れてETC放り込ンぢょったのに高速から離れとるがネ。
( ;∀;)
で。一番混む三島からヘロヘロで入りマスぃた。
やった~!近距離。
確か1180圓也♪