2015年10月11日
芸予要塞
さて。
先日の「本命探検」わ
煉瓦溢るる「芸予要塞」ぢゃった。
村上水軍名残の島。の一つである此の島が「要塞」となったのわ
対露国の為で。

波止浜から出た船が着く桟橋でわ、此ンな大砲レプリカが迎えてくりる。
◇ 日露戦争時、国内の海岸要塞から28cm榴弾砲(りゅうだんほう)が旅順等に送られた。
小島から送られた6門のうちの2門が旅順要塞攻撃に用いられたとされている。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の撮影のために製作された原寸大レプリカが小島港のすぐ近くの観光休憩所前に据えられている。
…原寸大?
先ず、サイズに驚いたンょ。
もっと大きなものだと考えちょった。
レプリカぢゃから、溶接も綺麗。
錆びも無い。
◇◇◇
下準備も無く出立すぃたモンぢゃから
此の要塞が在る小島わ「無人島」だと勝手に思ぅとった。
が。
無料休憩所(美麗)側に立て掛けらりた「小島順路」マップを睨むわしの横でわ
民家のオヤジが漁の網を点検する光景。
ほのぼの♪
行きます。
すンげ~暑いけンど。
ピーカンでなければ、ちょと怖い箇所も多々。
だって「要塞」だもの。
◇
「小島は愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島です。
この小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があります。」
「予感」。
其の為に
島の山を…「モッコ・トロッコ」の人力で
削って造られたのが
彼の要塞です。
見上げても両脇から迫る山肌。
行路も長い。
歩いちょるだけでナイアガラ滝汗。
とっりゃえず順路通りに進む。
道脇に植えられた椿の木。
飢えたわしわ…其のたわわに実ったボォルに、どぅすぃても目が行く。
「食えそ…?」
恐らく。
此りからの時期冬場にかけて。
かの椿たちわ
華やかな花を咲かせる。
きっとネ。
此ンな場所を切り開きながら行軍された人たちの苦労。
◇
「明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。
こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。
遺跡をまわる約1.8キロの遊歩道には2,500本の椿が植えられており公園としても整備されています。」
順路にわ木の標識。

閑話休題。
わしわ「発電所」が好き。
旧三繩水力発電所然り。
東平の第三発電所然り。
他、数多のダムをも訪ね歩くヲタなので
萌える。


萌えるも
此処ら辺りから、「何処」を写すぃて居ったのか…が
分からぬわしわ
B型ぢゃ。
ふ。

目が止まる蛇口。

でんでん虫居る。
木漏れ陽。

塔。

◇◇◇
訝すぃのが「弾薬庫」。
危ないので、補強わ他の処より厳重に。
されてるハズ…なンぢゃが
屋根が崩落。
つぃでに、其の煉瓦が見当たらない。

歩く。
表示板にも、「崩落」とわ記されて居るが…
床の部分しか残されて居らぬ。

視界に入るのわ…
鮮やかなピンク色のカタバミ。

と、此り何?

◇◇◇
此処らでまとめなくっちゃ。
つまり。
「瀬戸内海への敵艦船の侵入を阻止するため、紀淡海峡・鳴門海峡・豊予海峡・下関海峡に要塞砲台の設置が検討された。
しかし豊予海峡のみは、当時の要塞砲の射程距離よりも広い幅であったため、芸予要塞が計画された。
芸予要塞の防禦線の選定は、1873年に陸軍雇教師・フランス軍マルクリー中佐の海岸防禦法案を始めとして種々検討を重ね、1897年6月に6箇所に砲台を設置する最終案を決定した。
砲台建設は1897年3月大久野島北部砲台から開始され、1902年2月までにすべての砲台が竣工し、備砲工事も完了した。
豊予要塞の建設が決定したことから存在意義を失い、1924年12月に廃止された。」
廃止。
なら?「豊予要塞」って?
ん。調べたら「佐田岬」。
ちょと…また走らねば。ね♪
( ゚∀゚)
◇◇◇
いっぱい歩ぃたけど…
ホントわ順路を無視。
(笑)(笑)
砲座がまた、使われなかった跡地だけど

其のまンまで良し。

其ぅぢゃろがぃ?

だわね。

あンた、言ぅコト無いンな?
…わしゃ平和が一番。

やろがね?
先日の「本命探検」わ
煉瓦溢るる「芸予要塞」ぢゃった。
村上水軍名残の島。の一つである此の島が「要塞」となったのわ
対露国の為で。

波止浜から出た船が着く桟橋でわ、此ンな大砲レプリカが迎えてくりる。
◇ 日露戦争時、国内の海岸要塞から28cm榴弾砲(りゅうだんほう)が旅順等に送られた。
小島から送られた6門のうちの2門が旅順要塞攻撃に用いられたとされている。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」の撮影のために製作された原寸大レプリカが小島港のすぐ近くの観光休憩所前に据えられている。
…原寸大?
先ず、サイズに驚いたンょ。
もっと大きなものだと考えちょった。
レプリカぢゃから、溶接も綺麗。
錆びも無い。
◇◇◇
下準備も無く出立すぃたモンぢゃから
此の要塞が在る小島わ「無人島」だと勝手に思ぅとった。
が。
無料休憩所(美麗)側に立て掛けらりた「小島順路」マップを睨むわしの横でわ
民家のオヤジが漁の網を点検する光景。
ほのぼの♪
行きます。
すンげ~暑いけンど。
ピーカンでなければ、ちょと怖い箇所も多々。
だって「要塞」だもの。
◇
「小島は愛媛県今治市沖の来島海峡に浮かぶ小さな島です。
この小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵攻を防ぐために築いた海岸要塞があります。」
「予感」。
其の為に
島の山を…「モッコ・トロッコ」の人力で
削って造られたのが
彼の要塞です。
見上げても両脇から迫る山肌。
行路も長い。
歩いちょるだけでナイアガラ滝汗。
とっりゃえず順路通りに進む。
道脇に植えられた椿の木。
飢えたわしわ…其のたわわに実ったボォルに、どぅすぃても目が行く。
「食えそ…?」
恐らく。
此りからの時期冬場にかけて。
かの椿たちわ
華やかな花を咲かせる。
きっとネ。
此ンな場所を切り開きながら行軍された人たちの苦労。
◇
「明治32年から2年間の突貫工事で、当時の30万円の巨費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。
こうした施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。
遺跡をまわる約1.8キロの遊歩道には2,500本の椿が植えられており公園としても整備されています。」
順路にわ木の標識。

閑話休題。
わしわ「発電所」が好き。
旧三繩水力発電所然り。
東平の第三発電所然り。
他、数多のダムをも訪ね歩くヲタなので
萌える。


萌えるも
此処ら辺りから、「何処」を写すぃて居ったのか…が
分からぬわしわ
B型ぢゃ。
ふ。

目が止まる蛇口。

でんでん虫居る。
木漏れ陽。

塔。

◇◇◇
訝すぃのが「弾薬庫」。
危ないので、補強わ他の処より厳重に。
されてるハズ…なンぢゃが
屋根が崩落。
つぃでに、其の煉瓦が見当たらない。

歩く。
表示板にも、「崩落」とわ記されて居るが…
床の部分しか残されて居らぬ。

視界に入るのわ…
鮮やかなピンク色のカタバミ。

と、此り何?

◇◇◇
此処らでまとめなくっちゃ。
つまり。
「瀬戸内海への敵艦船の侵入を阻止するため、紀淡海峡・鳴門海峡・豊予海峡・下関海峡に要塞砲台の設置が検討された。
しかし豊予海峡のみは、当時の要塞砲の射程距離よりも広い幅であったため、芸予要塞が計画された。
芸予要塞の防禦線の選定は、1873年に陸軍雇教師・フランス軍マルクリー中佐の海岸防禦法案を始めとして種々検討を重ね、1897年6月に6箇所に砲台を設置する最終案を決定した。
砲台建設は1897年3月大久野島北部砲台から開始され、1902年2月までにすべての砲台が竣工し、備砲工事も完了した。
豊予要塞の建設が決定したことから存在意義を失い、1924年12月に廃止された。」
廃止。
なら?「豊予要塞」って?
ん。調べたら「佐田岬」。
ちょと…また走らねば。ね♪
( ゚∀゚)
◇◇◇
いっぱい歩ぃたけど…
ホントわ順路を無視。
(笑)(笑)
砲座がまた、使われなかった跡地だけど

其のまンまで良し。

其ぅぢゃろがぃ?

だわね。

あンた、言ぅコト無いンな?
…わしゃ平和が一番。

やろがね?
Posted by 花椒 at 18:50│Comments(0)
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