2013年03月06日

ムカシのキオク

パリッとした麻の上衣の襟に陽光が煌めき、伊達眼鏡の奥で目をしばたくMr.花椒わ
パナマ帽に軽く手をやり優雅にお辞儀をする。

「ミカン持っていけ」

赤い留め具のついたネット入りミカン5個入り。を無骨に押し付ける翁。

その一張羅の背広の裾を握りしめた、赤いほっぺの幼女が
涙をこらえた祖父の目を見上げ

分からぬ「別離」の意味を探ろうとする。

ミカンを抱いた紳士はしゃがんで幼女の赤いほっぺにキスをする。

ここは坂出。
華々しいドォムを持つ大阪商船の乗り場。



神戸に旅立つ人々が、それぞれの見送り客と「言葉にならぬメッセィジ」を送り合う船着き場なのだ。



彼は上海に帰る為の蘇州号へ一瞬想いを巡らす。

その時

銅鑼が鳴る。

翁はもう乾いた眼で、後に残る曳航をイメィジしながら
ゴールデンバットに火をつける。



人々は各々の想いを銅鑼に託して
船に乗り込むのだ。

ここは大阪商船。



丸い灯りの元

ようやく寂しさを感じた幼女は、このメダリオンのキオクをココロに焼き付ける。



このおじさんは、もう帰ってこないんだ。

鋭いガーゴイルではなく、柔らかなメダリオン。



かの港務所わ、今も坂出埠頭に残る。

◇◇◇

一階が大阪商船の乗降地であり、切符売り場や待合室が有りました。

二階は港湾事務所で

三階が畳敷きの休憩室。

屋上のドォムは、物見台または風速計室。であったらすぃ。
・・・どんな部屋だったンだらうね。

昭和9年建設。

その後、坂出埠頭の交易中心部を担ってをったかの場所も、
昭和31年に港務所としての役目を終え
海上保安署として15年使われます。

今は廃墟。
(笑´∀`)

だから「廃ヲタ」Nクマがたどり着きました。

先日彼が訪れたのを受け、本日休みの私が引き継ぎますョ。

以前有った(ついこの前まで)坂出貨物線跡が、「しまむら」横の倉庫から消えました。
(埋められたンね。)

◇◇◇

かつて「ヒトが行き交った」場所。

この大阪商船乗り場はまた…
かつて有った「旧コトデン琴平駅」を思い出させます。

私わ知らんのですが。
ふ。

琴平で生まれ育った中国語のセンセの言葉。

在りし日の「旧コトデン琴平駅」は…「ゴージャス」であったと。
リアルな現場は知らぬも(1974生まれ)

人々の待ち合うフロアやら建物自体が素晴らしかったに違いない。

これで引き起こされるキオク。

昔の琴平駅が移築された建物が、今は善通寺南大門の前に有る「コトブキ」さん。なンですねぃ。

かのコトブキ。
何回も訪れて、骨董屋兼喫茶店を営むマスターから、

二階の「貴賓室」やら「駅長室」やらを見せていただいたのが…まるで昨日のコトのやうです。
ふ。

◇◇◇

人々の行き交う場所。

その息吹。
本日休みの私わ「確かに」感じましたから。

Nクマ、ありがとう♪




この記事へのコメント
野犬がよっけおらなんだか?

そこ、好きすき♪
Posted by ゆーたとなつみのとーちゃん at 2013年03月06日 18:21
ゆーたとなつみのとーちゃんさま☆

やっぱ、とーちゃんさんも好きな場所やったんね!♪
(すぐ分かったわで~(*^▽^*)

野犬は、私の行った時には居らんかったケド
カラスが居ったわ。
つんつん歩いとった。

私も、この場所気に入った~っ!♪♪♪
(*⌒▽⌒*)
Posted by 花椒花椒 at 2013年03月06日 18:34
遠くから見て気になってました。
今度行ってみます。
Posted by ミクリミクリ at 2013年03月06日 19:46
ミクリ師匠☆

ええ!ぜひぜひ♪
(*⌒▽⌒*)

最初、東洋埠頭倉庫の方から行ける思てたら、入り江の向こう側でした。。

私は全然知らんかった場所です。
(*^_^*)
Posted by 花椒花椒 at 2013年03月06日 21:32
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    コメント(4)