2015年12月01日
廃隧道の旅@馬路村
旧隧道を求めて、今日わ「魚梁瀬森林鉄道」廃線跡を巡る。
高知・魚梁瀬から馬路(ごっくん馬路村のネ)を経て安田に至る、かつてわ急峻ナ道を
名産である「やなせ杉」を運ぶ為の森林鉄道が出来たのわ
ヂツニ明治44年ょ。
先日探険すぃた「伊尾木洞」入り口に面する55号を、東進してのち北上。
馬路村方角に舵をとる。
先ず「エヤ隧道」。

美味すぃ物件ぢゃが!♪
( ≧∀≦)ノ

現在使われちょる道路を「ミョ~」に其処だけ凹んで山側に残る。
次に…なンだか怪すぃ、赤いトラス橋を横目に
(軽自動車のみ。ってのが理由でスルゥ)
後で此処に「バンダ島隧道」が有ったと知る。
( ω-、)
閑話休題。
高知山中にわ・・「ユズ」が【到るところ】に自生♪

其処らに落ちとる竹で、美すぃ黄色の実をはね落とす。
通り掛かるバイクの翁が
竹を持ち出すぃた時点で「身構える」も
(なンとて不審者)
彼わ彼でフトコロに「鉈」。
( ´;゚;∀;゚;)
落とすぃた実の「匂い」を嗅ぐ。
あああ~「ユズ」ぢゃん♪
◇◇◇
次に寄るのわ、「ごっくん馬路村」の本社工場「傍ら」に在る道の駅っぽぃ処。
で。商品より先に目に付いた【窓の外】。
見つけた「二番目」の隧道が…

「五味隧道」にわ
嗚呼。線路と枕木が其のままに?♪
喜び勇ンで駆けるョ。
◇◇◇
はい。
此の道の駅でわ
本当に…得るモノが多かった!
なンも買わんのに…
窓口の女性が
「ひょっとすぃて【森林鉄道】?」
はぃ。ごめんなさい。
(意味なく腰が低くなるわし。)
「廃線ヲタでごめんなさい。」
( ´;゚;∀;゚;)
◇◇◇
此処から、かの女史の
すンごぃ詳すぃ説明が始まった!
魚梁瀬森林鉄道を、恐らくスゴく愛されて居られるのが伝わったン♪
「二階にどうぞ!」
はい。
二階にわ…たくさんの写真が飾られて居ったョ。
・・・・・
此処で「魚梁瀬森林鉄道」の歴史を記したい。
「魚梁瀬地区は、平家の門脇中納言平教経の入洛により集落が始まったとされる。
竹や木を並べて水を堰き止めて魚を捕まえる仕掛けを「梁(やな)」と呼ぶが、教経はそうして川魚を捕り暮らしていたことから後にこの地区が「やなせ」と名付けられたようである。
藩政時代になってこの山々の森林資源が着目され、下流地域から人々が上がって来るようになり、奈半利川の水流を利用し、魚梁瀬材は河口へと集められていった。」
ん~
其ンな川わ、現在でも学童たちの「遊び場」♪

中央の、モノラックでも無い線路も面白いでしょ?
(((o(*゚∀゚*)o)))
「林道開設も早く、1895年(明治28年)、魚梁瀬和田山から宝蔵山にいたる12.4kmの牛馬道を開設。
その後和田山 - 魚梁瀬、谷山口 - 東川、魚梁瀬 - 栃谷と延長された。安田川方面も1900年(明治33年)、日浦 - 東川(ひがしごう)、明神口 - 日浦と林道が開設されたが、これは運材よりも物資輸送が主な目的であり、運材は河川を利用していた。
しかし、山腹に設けられた牛馬道や車道、さらに流木では間に合わなくなり、
1907年(明治40年)に安田川山線に最初の軌道が開設され、
その後1910年(明治43年)から田野 - 馬路間23.4kmの鉄道を建設、1911年(明治44年)に完成した。当初は自然の重力を利用した乗り下げで運材が行われており、山へ帰る時は犬または牛にトロリーを牽かせていた。」
◇◇◇
此処で!
「犬?」と疑問が浮かンだわし。
…北極でも働ぃた筋骨たくますぃ犬か?
違う。
ンぢゃナ其処が。
と
酔いが回ってきたので
続きわ明日にする。
ふぅ。
高知・魚梁瀬から馬路(ごっくん馬路村のネ)を経て安田に至る、かつてわ急峻ナ道を
名産である「やなせ杉」を運ぶ為の森林鉄道が出来たのわ
ヂツニ明治44年ょ。
先日探険すぃた「伊尾木洞」入り口に面する55号を、東進してのち北上。
馬路村方角に舵をとる。
先ず「エヤ隧道」。

美味すぃ物件ぢゃが!♪
( ≧∀≦)ノ

現在使われちょる道路を「ミョ~」に其処だけ凹んで山側に残る。
次に…なンだか怪すぃ、赤いトラス橋を横目に
(軽自動車のみ。ってのが理由でスルゥ)
後で此処に「バンダ島隧道」が有ったと知る。
( ω-、)
閑話休題。
高知山中にわ・・「ユズ」が【到るところ】に自生♪

其処らに落ちとる竹で、美すぃ黄色の実をはね落とす。
通り掛かるバイクの翁が
竹を持ち出すぃた時点で「身構える」も
(なンとて不審者)
彼わ彼でフトコロに「鉈」。
( ´;゚;∀;゚;)
落とすぃた実の「匂い」を嗅ぐ。
あああ~「ユズ」ぢゃん♪
◇◇◇
次に寄るのわ、「ごっくん馬路村」の本社工場「傍ら」に在る道の駅っぽぃ処。
で。商品より先に目に付いた【窓の外】。
見つけた「二番目」の隧道が…

「五味隧道」にわ
嗚呼。線路と枕木が其のままに?♪
喜び勇ンで駆けるョ。
◇◇◇
はい。
此の道の駅でわ
本当に…得るモノが多かった!
なンも買わんのに…
窓口の女性が
「ひょっとすぃて【森林鉄道】?」
はぃ。ごめんなさい。
(意味なく腰が低くなるわし。)
「廃線ヲタでごめんなさい。」
( ´;゚;∀;゚;)
◇◇◇
此処から、かの女史の
すンごぃ詳すぃ説明が始まった!
魚梁瀬森林鉄道を、恐らくスゴく愛されて居られるのが伝わったン♪
「二階にどうぞ!」
はい。
二階にわ…たくさんの写真が飾られて居ったョ。
・・・・・
此処で「魚梁瀬森林鉄道」の歴史を記したい。
「魚梁瀬地区は、平家の門脇中納言平教経の入洛により集落が始まったとされる。
竹や木を並べて水を堰き止めて魚を捕まえる仕掛けを「梁(やな)」と呼ぶが、教経はそうして川魚を捕り暮らしていたことから後にこの地区が「やなせ」と名付けられたようである。
藩政時代になってこの山々の森林資源が着目され、下流地域から人々が上がって来るようになり、奈半利川の水流を利用し、魚梁瀬材は河口へと集められていった。」
ん~
其ンな川わ、現在でも学童たちの「遊び場」♪

中央の、モノラックでも無い線路も面白いでしょ?
(((o(*゚∀゚*)o)))
「林道開設も早く、1895年(明治28年)、魚梁瀬和田山から宝蔵山にいたる12.4kmの牛馬道を開設。
その後和田山 - 魚梁瀬、谷山口 - 東川、魚梁瀬 - 栃谷と延長された。安田川方面も1900年(明治33年)、日浦 - 東川(ひがしごう)、明神口 - 日浦と林道が開設されたが、これは運材よりも物資輸送が主な目的であり、運材は河川を利用していた。
しかし、山腹に設けられた牛馬道や車道、さらに流木では間に合わなくなり、
1907年(明治40年)に安田川山線に最初の軌道が開設され、
その後1910年(明治43年)から田野 - 馬路間23.4kmの鉄道を建設、1911年(明治44年)に完成した。当初は自然の重力を利用した乗り下げで運材が行われており、山へ帰る時は犬または牛にトロリーを牽かせていた。」
◇◇◇
此処で!
「犬?」と疑問が浮かンだわし。
…北極でも働ぃた筋骨たくますぃ犬か?
違う。
ンぢゃナ其処が。
と
酔いが回ってきたので
続きわ明日にする。
ふぅ。
Posted by 花椒 at 20:54│Comments(0)