2015年09月08日
観光地にひっそり…と。
さて。
顔から髪から上着からジーンズから
「全て泥まみれ」(擦り傷・打ち身有り)のわしが
最後に向かったのわ
「土木遺産」!です♪
(((o(*゚∀゚*)o)))
ちぅても「偶然」なンょ。
はよ帰ってシャワー浴びたいし(笑)、洗濯もしたい。
見ノ越から北上すぃて、こないだ「お一人様」で木屋平方面を選ンだ「左=剣山 右=木屋平」の分岐点まで下りて来た。
因みに、登山マニアでもあるマスオが剣山に行く時わ左。ぢゃナ。
付け足すが
わしが木屋平に向かぅ時の殆どわ、貞光辺りからの穴吹川沿い492号ルゥト。
はい。
此処で説明。
剣山に行かれる方わ、勿論わしなどより詳すぃので言わずもなが。ぢゃけンど
わしの知っとる範囲でわ、一般的ナ登山者わ
「見ノ越」か「コリトリ」を起点にさりとると思ぅンょ。
コリトリわ木屋平の近くで、水ごり出来さぅナ滝が有る。
よく通行止になる彼の地区わ
時に、コリトリまでも行けん場合が有るンね。
徳島わ山肌の崩壊地区が多いモノ。
(*´;ェ;`*)
今回わ見ノ越までスムゥズに♪
其処から杉が立ち並ぶ、でも整備さりた道路が広がるのわ
南からの登山者の為か。
此処で「興味を失う」わしわ既に
自宅のシャワーを思い描いちょった。
「泥がニガイ」。
( ´-ω-)
◇◇◇
帰り道に在る「土釜・鳴滝」。
良くお一人様で通る箇所ぢゃが
鳴滝の麓までわ行ったコトも有ったが
「土釜」~?
此りゃ観光地なので興味わ全く無かった。
なので訪れたコトも無いワケょ。
廃ヲタで無いヒトを、此処まで引っ張った遠慮もあり
付き合う。
雨やけど。
観光地やけど。
( ´_ゝ`)
が。
あ!「土木遺産」?!!

初めて気づぃて興奮!
な、なンで此のフツ~な古びた橋が?

「あ…下を見て下さい。」
え!
あ!♪

なンと
鮮やかに赤いアーチ橋が!
!!(⊃ Д)⊃≡゚ ゚
此処から興奮しまくりの「泥もぶれ」。
わしわ「土釜」よりも「橋」にうつつを抜かすぃたゾ!
◇◇◇
「土釜橋があるのはつるぎ町一宇であるが、
2005年に合併するまでは一宇村といった。」
はぃナ!
激しく頷きたい。
「明治の中頃まで、村で採れる柿や椎茸などの産物は人の肩に乗せて運んでおり、そのため距離の短い峠越えのルートが主であった。
木材は貞光川に流して運んだが、いかだの通らない峡谷のため、1本ずつ流していた。」
此の激しく渦巻く川を?!
( :゚皿゚)
「その際土釜は難所だったようで、土釜にすむ大蛇に酒樽を供えないと1本も流れなかった、という言い伝えもあるほどである。」
昔から有るょね。滝の大蛇。
フェチの穴吹川でも、古代の謂れを描いた看板がたくさん♪
(一つ一つ検分すぃていきたい)
「明治中期になり、大八車や牛馬車の使える勾配の緩やかな道として川沿いの道が整備されるようになった。
しかし岩盤を削りながらの難工事のため、1888年の整備では幅員1〜1.5mの道をつけるのがやっとで、人、馬、車もろとも谷へ転落する事故が毎年のように起こっていた。」
うむ。
其の幅わ、今でもヤバい。
リッターカーの幅。ぐらぃぢゃもんナ。
離合すら難しぃ。
「1902年、ようやく3〜3.5mに拡幅され、安心して大八車や牛馬車を使える道が完成した。
当時土釜橋は木橋であったが、時代が下り木材やその他の産物の輸送に自動車が使われるようになって、
荷重に耐えられるよう1930年に今の土釜橋である鋼橋に架け替えられた。
ここではじめて輸送路としての機能が完成したといえる。
一宇村や背後の村々にとって待望の橋だったのである。」
そぅか…。
土木遺産に制定される程の、でも昔の橋。
此処まで立派な堅い橋になったのわ…生活の「命」が懸かっとった訳。なんぢゃな。
わしわ橋の美しさ・堅固さにココロを奪われる。

(下から見た)
土木遺産の橋で満足すぃたわし。
ぢゃが
「さ。降りてみましゃう」
あんまり興味が無かった土釜の方。
( ´-ω-)
マムシ注意。

降りて行く程に迫力が増すので
今度わそちらに興味が湧く。
水も湧くゾ!

雨の為か、水の音も素敵♪

で。
「穴」に興味が移る。
なンで此ンな穴が?
「甌穴(おうけつ)
とは河底や河岸の岩石面上にできる円形の穴。ポットホール、またはかめ穴(かめあな)ともいう。
河底や河岸の表面が硬い場合、表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による侵食のためにくぼみとなる。
このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。その後川底が侵食の影響で、
甌穴のできた場所は水面より高くなる。その結果、甌穴が地表に見られるようになる。」
◇◇◇
かめ穴?
其処でまた灰色スパコンが稼働する。
確か…来た道に「鍋岩」っちぅのが有ったナ。
つまり。
何らかの原因で川床の岩が削られ、其処に上流から流れて来た石が脱出出来ずに
くるくるくると回る為に、丸ぃ穴が形成された岩。
…其りと関係が有るンぢゃらぅか?
・・・・・
此りで今回の探険日記わ終わる。
わしわまた一人旅に出なければ♪
顔から髪から上着からジーンズから
「全て泥まみれ」(擦り傷・打ち身有り)のわしが
最後に向かったのわ
「土木遺産」!です♪
(((o(*゚∀゚*)o)))
ちぅても「偶然」なンょ。
はよ帰ってシャワー浴びたいし(笑)、洗濯もしたい。
見ノ越から北上すぃて、こないだ「お一人様」で木屋平方面を選ンだ「左=剣山 右=木屋平」の分岐点まで下りて来た。
因みに、登山マニアでもあるマスオが剣山に行く時わ左。ぢゃナ。
付け足すが
わしが木屋平に向かぅ時の殆どわ、貞光辺りからの穴吹川沿い492号ルゥト。
はい。
此処で説明。
剣山に行かれる方わ、勿論わしなどより詳すぃので言わずもなが。ぢゃけンど
わしの知っとる範囲でわ、一般的ナ登山者わ
「見ノ越」か「コリトリ」を起点にさりとると思ぅンょ。
コリトリわ木屋平の近くで、水ごり出来さぅナ滝が有る。
よく通行止になる彼の地区わ
時に、コリトリまでも行けん場合が有るンね。
徳島わ山肌の崩壊地区が多いモノ。
(*´;ェ;`*)
今回わ見ノ越までスムゥズに♪
其処から杉が立ち並ぶ、でも整備さりた道路が広がるのわ
南からの登山者の為か。
此処で「興味を失う」わしわ既に
自宅のシャワーを思い描いちょった。
「泥がニガイ」。
( ´-ω-)
◇◇◇
帰り道に在る「土釜・鳴滝」。
良くお一人様で通る箇所ぢゃが
鳴滝の麓までわ行ったコトも有ったが
「土釜」~?
此りゃ観光地なので興味わ全く無かった。
なので訪れたコトも無いワケょ。
廃ヲタで無いヒトを、此処まで引っ張った遠慮もあり
付き合う。
雨やけど。
観光地やけど。
( ´_ゝ`)
が。
あ!「土木遺産」?!!

初めて気づぃて興奮!
な、なンで此のフツ~な古びた橋が?

「あ…下を見て下さい。」
え!
あ!♪

なンと
鮮やかに赤いアーチ橋が!
!!(⊃ Д)⊃≡゚ ゚
此処から興奮しまくりの「泥もぶれ」。
わしわ「土釜」よりも「橋」にうつつを抜かすぃたゾ!
◇◇◇
「土釜橋があるのはつるぎ町一宇であるが、
2005年に合併するまでは一宇村といった。」
はぃナ!
激しく頷きたい。
「明治の中頃まで、村で採れる柿や椎茸などの産物は人の肩に乗せて運んでおり、そのため距離の短い峠越えのルートが主であった。
木材は貞光川に流して運んだが、いかだの通らない峡谷のため、1本ずつ流していた。」
此の激しく渦巻く川を?!
( :゚皿゚)
「その際土釜は難所だったようで、土釜にすむ大蛇に酒樽を供えないと1本も流れなかった、という言い伝えもあるほどである。」
昔から有るょね。滝の大蛇。
フェチの穴吹川でも、古代の謂れを描いた看板がたくさん♪
(一つ一つ検分すぃていきたい)
「明治中期になり、大八車や牛馬車の使える勾配の緩やかな道として川沿いの道が整備されるようになった。
しかし岩盤を削りながらの難工事のため、1888年の整備では幅員1〜1.5mの道をつけるのがやっとで、人、馬、車もろとも谷へ転落する事故が毎年のように起こっていた。」
うむ。
其の幅わ、今でもヤバい。
リッターカーの幅。ぐらぃぢゃもんナ。
離合すら難しぃ。
「1902年、ようやく3〜3.5mに拡幅され、安心して大八車や牛馬車を使える道が完成した。
当時土釜橋は木橋であったが、時代が下り木材やその他の産物の輸送に自動車が使われるようになって、
荷重に耐えられるよう1930年に今の土釜橋である鋼橋に架け替えられた。
ここではじめて輸送路としての機能が完成したといえる。
一宇村や背後の村々にとって待望の橋だったのである。」
そぅか…。
土木遺産に制定される程の、でも昔の橋。
此処まで立派な堅い橋になったのわ…生活の「命」が懸かっとった訳。なんぢゃな。
わしわ橋の美しさ・堅固さにココロを奪われる。

(下から見た)
土木遺産の橋で満足すぃたわし。
ぢゃが
「さ。降りてみましゃう」
あんまり興味が無かった土釜の方。
( ´-ω-)
マムシ注意。

降りて行く程に迫力が増すので
今度わそちらに興味が湧く。
水も湧くゾ!

雨の為か、水の音も素敵♪

で。
「穴」に興味が移る。
なンで此ンな穴が?
「甌穴(おうけつ)
とは河底や河岸の岩石面上にできる円形の穴。ポットホール、またはかめ穴(かめあな)ともいう。
河底や河岸の表面が硬い場合、表面に割れ目などの弱い部分があるとそこが水流による侵食のためにくぼみとなる。
このくぼみの中に礫が入ると渦流によってその礫が回転し丸みを帯びた円形の穴に拡大する。その後川底が侵食の影響で、
甌穴のできた場所は水面より高くなる。その結果、甌穴が地表に見られるようになる。」
◇◇◇
かめ穴?
其処でまた灰色スパコンが稼働する。
確か…来た道に「鍋岩」っちぅのが有ったナ。
つまり。
何らかの原因で川床の岩が削られ、其処に上流から流れて来た石が脱出出来ずに
くるくるくると回る為に、丸ぃ穴が形成された岩。
…其りと関係が有るンぢゃらぅか?
・・・・・
此りで今回の探険日記わ終わる。
わしわまた一人旅に出なければ♪
Posted by 花椒 at 18:01│Comments(0)